長屋 真紀子(ながや まきこ、1955年10月8日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道足寄郡陸別町出身。 釧路第一高等学校ではインターハイで第22回の500m・1000m2冠、第23回1000m優勝(連覇)という成績を残した。 1974年、三協精機に入社、1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、500mで入賞まであと一歩の7位(当時は6位までが入賞だった)、1000m9位の成績を残した。 1977年の第46回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では500mで2位のタイムを出し、レークプラシッドオリンピックでは500mで5位入賞、スピードスケート女子の日本勢で入賞は4大会ぶりであった。1000mは22位に終わった。 全日本スプリントスピードスケート選手権大会では1974年の第1回から6連覇を達成している。

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  • 長屋 真紀子(ながや まきこ、1955年10月8日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道足寄郡陸別町出身。 釧路第一高等学校ではインターハイで第22回の500m・1000m2冠、第23回1000m優勝(連覇)という成績を残した。 1974年、三協精機に入社、1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、500mで入賞まであと一歩の7位(当時は6位までが入賞だった)、1000m9位の成績を残した。 1977年の第46回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では500mで2位のタイムを出し、レークプラシッドオリンピックでは500mで5位入賞、スピードスケート女子の日本勢で入賞は4大会ぶりであった。1000mは22位に終わった。 全日本スプリントスピードスケート選手権大会では1974年の第1回から6連覇を達成している。 (ja)
  • 長屋 真紀子(ながや まきこ、1955年10月8日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道足寄郡陸別町出身。 釧路第一高等学校ではインターハイで第22回の500m・1000m2冠、第23回1000m優勝(連覇)という成績を残した。 1974年、三協精機に入社、1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、500mで入賞まであと一歩の7位(当時は6位までが入賞だった)、1000m9位の成績を残した。 1977年の第46回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では500mで2位のタイムを出し、レークプラシッドオリンピックでは500mで5位入賞、スピードスケート女子の日本勢で入賞は4大会ぶりであった。1000mは22位に終わった。 全日本スプリントスピードスケート選手権大会では1974年の第1回から6連覇を達成している。 (ja)
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  • 長屋 真紀子(ながや まきこ、1955年10月8日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道足寄郡陸別町出身。 釧路第一高等学校ではインターハイで第22回の500m・1000m2冠、第23回1000m優勝(連覇)という成績を残した。 1974年、三協精機に入社、1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、500mで入賞まであと一歩の7位(当時は6位までが入賞だった)、1000m9位の成績を残した。 1977年の第46回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では500mで2位のタイムを出し、レークプラシッドオリンピックでは500mで5位入賞、スピードスケート女子の日本勢で入賞は4大会ぶりであった。1000mは22位に終わった。 全日本スプリントスピードスケート選手権大会では1974年の第1回から6連覇を達成している。 (ja)
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