金砕棒(かなさいぼう)は、日本の打棒系武器の一種。南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは櫟(イチイ)、栗、樫などの硬い木を1.4 - 2メートル程度のに整形したものに「星」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが(画像-1)、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した拵え(こしらえ)となり(画像-2)、さらに後世に完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製へと移行)となった(画像-2、画像-3)。

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  • 金砕棒(かなさいぼう)は、日本の打棒系武器の一種。南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは櫟(イチイ)、栗、樫などの硬い木を1.4 - 2メートル程度のに整形したものに「星」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが(画像-1)、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した拵え(こしらえ)となり(画像-2)、さらに後世に完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製へと移行)となった(画像-2、画像-3)。 (ja)
  • 金砕棒(かなさいぼう)は、日本の打棒系武器の一種。南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは櫟(イチイ)、栗、樫などの硬い木を1.4 - 2メートル程度のに整形したものに「星」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが(画像-1)、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した拵え(こしらえ)となり(画像-2)、さらに後世に完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製へと移行)となった(画像-2、画像-3)。 (ja)
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  • 金砕棒(かなさいぼう)は、日本の打棒系武器の一種。南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは櫟(イチイ)、栗、樫などの硬い木を1.4 - 2メートル程度のに整形したものに「星」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが(画像-1)、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した拵え(こしらえ)となり(画像-2)、さらに後世に完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製へと移行)となった(画像-2、画像-3)。 (ja)
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  • 金砕棒 (ja)
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