野与党(のよとう)は、武蔵七党の1つで、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国埼玉郡(現・加須市付近)のを中心に勢力のあった武士団である。足立郡、比企郡などにも同族がいた。桓武平氏の平忠常の子・の子のを祖とするとされているが、武蔵国造の系統を引く武蔵武芝の末裔という説もある。両者の折衷説もある。武蔵武芝の子・の娘が、胤宗の子・基宗に嫁ぎ、・村山頼任兄弟を儲けたとするものである(『』)。一族は、23家に分かれている。