足利 政知(あしかが まさとも)は、室町時代後期の武将。足利将軍家の一族で、初代堀越公方である。室町幕府第6代征夷大将軍・足利義教の四男で、母は幕府奉公衆斎藤氏の娘・(斎藤朝日妹)。第7代将軍・足利義勝の異母弟で、第8代将軍・足利義政と足利義視の異母兄にあたる。第11代将軍・足利義澄の父であり、以後の将軍は政知の家系から続いた。 幕府公認の鎌倉公方として下向するが、享徳の乱による関東の混乱および幕府権力の衰退と上杉氏の内紛などで鎌倉に入れず、手前の伊豆の堀越に留まった。このため、堀越公方と称される。