賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。 * 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ(4-556) * 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565) * 秋の野を朝ゆく鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今宵か(8-1613)

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  • 賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。 * 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ(4-556) * 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565) * 秋の野を朝ゆく鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今宵か(8-1613) (ja)
  • 賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。 * 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ(4-556) * 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565) * 秋の野を朝ゆく鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今宵か(8-1613) (ja)
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  • 賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。 * 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ(4-556) * 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565) * 秋の野を朝ゆく鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今宵か(8-1613) (ja)
  • 賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。 * 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ(4-556) * 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565) * 秋の野を朝ゆく鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今宵か(8-1613) (ja)
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  • 賀茂女王 (ja)
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