蔵司(ぞうし/くらのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、令の制度ではその中の最上位であった。女官のみによって構成される。 蔵司の職掌は、神璽、(三関の割符)、天皇・皇后の衣服を管理することであった。准位は、尚蔵(定員1名)が正三位、典蔵(定員2名)が従四位、掌蔵(定員4名)が従七位である。この他女孺10名で構成されていた。皇位の象徴である神璽や、兵乱時に重要な関契を管理する職務の重要性から、令の制度では後宮十二司の中でもっとも高い地位を与えられていた。 しかし、天皇に近侍し、内外の奏請と伝宣を行う内侍司の権威が次第に上昇し、蔵司の職務も内侍司によって次第に代行されるようになった。奈良時代から平安時代初期にかけては、尚侍が尚蔵を兼ねる例も多い。また三関は平安時代に入ると機能が低下して廃絶され、平安時代中期以後、神鏡は内侍所のあるに、神璽・神剣は天皇の側近く清涼殿に置かれた。そして、蔵司は村上天皇時代にいたって完全に見えなくなり、内侍司に吸収された。

Property Value
dbo:abstract
  • 蔵司(ぞうし/くらのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、令の制度ではその中の最上位であった。女官のみによって構成される。 蔵司の職掌は、神璽、(三関の割符)、天皇・皇后の衣服を管理することであった。准位は、尚蔵(定員1名)が正三位、典蔵(定員2名)が従四位、掌蔵(定員4名)が従七位である。この他女孺10名で構成されていた。皇位の象徴である神璽や、兵乱時に重要な関契を管理する職務の重要性から、令の制度では後宮十二司の中でもっとも高い地位を与えられていた。 しかし、天皇に近侍し、内外の奏請と伝宣を行う内侍司の権威が次第に上昇し、蔵司の職務も内侍司によって次第に代行されるようになった。奈良時代から平安時代初期にかけては、尚侍が尚蔵を兼ねる例も多い。また三関は平安時代に入ると機能が低下して廃絶され、平安時代中期以後、神鏡は内侍所のあるに、神璽・神剣は天皇の側近く清涼殿に置かれた。そして、蔵司は村上天皇時代にいたって完全に見えなくなり、内侍司に吸収された。 (ja)
  • 蔵司(ぞうし/くらのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、令の制度ではその中の最上位であった。女官のみによって構成される。 蔵司の職掌は、神璽、(三関の割符)、天皇・皇后の衣服を管理することであった。准位は、尚蔵(定員1名)が正三位、典蔵(定員2名)が従四位、掌蔵(定員4名)が従七位である。この他女孺10名で構成されていた。皇位の象徴である神璽や、兵乱時に重要な関契を管理する職務の重要性から、令の制度では後宮十二司の中でもっとも高い地位を与えられていた。 しかし、天皇に近侍し、内外の奏請と伝宣を行う内侍司の権威が次第に上昇し、蔵司の職務も内侍司によって次第に代行されるようになった。奈良時代から平安時代初期にかけては、尚侍が尚蔵を兼ねる例も多い。また三関は平安時代に入ると機能が低下して廃絶され、平安時代中期以後、神鏡は内侍所のあるに、神璽・神剣は天皇の側近く清涼殿に置かれた。そして、蔵司は村上天皇時代にいたって完全に見えなくなり、内侍司に吸収された。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 2785873 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1151 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 77746794 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:date
  • 2019 (xsd:integer)
prop-ja:section
  • 1 (xsd:integer)
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 蔵司(ぞうし/くらのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、令の制度ではその中の最上位であった。女官のみによって構成される。 蔵司の職掌は、神璽、(三関の割符)、天皇・皇后の衣服を管理することであった。准位は、尚蔵(定員1名)が正三位、典蔵(定員2名)が従四位、掌蔵(定員4名)が従七位である。この他女孺10名で構成されていた。皇位の象徴である神璽や、兵乱時に重要な関契を管理する職務の重要性から、令の制度では後宮十二司の中でもっとも高い地位を与えられていた。 しかし、天皇に近侍し、内外の奏請と伝宣を行う内侍司の権威が次第に上昇し、蔵司の職務も内侍司によって次第に代行されるようになった。奈良時代から平安時代初期にかけては、尚侍が尚蔵を兼ねる例も多い。また三関は平安時代に入ると機能が低下して廃絶され、平安時代中期以後、神鏡は内侍所のあるに、神璽・神剣は天皇の側近く清涼殿に置かれた。そして、蔵司は村上天皇時代にいたって完全に見えなくなり、内侍司に吸収された。 (ja)
  • 蔵司(ぞうし/くらのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、令の制度ではその中の最上位であった。女官のみによって構成される。 蔵司の職掌は、神璽、(三関の割符)、天皇・皇后の衣服を管理することであった。准位は、尚蔵(定員1名)が正三位、典蔵(定員2名)が従四位、掌蔵(定員4名)が従七位である。この他女孺10名で構成されていた。皇位の象徴である神璽や、兵乱時に重要な関契を管理する職務の重要性から、令の制度では後宮十二司の中でもっとも高い地位を与えられていた。 しかし、天皇に近侍し、内外の奏請と伝宣を行う内侍司の権威が次第に上昇し、蔵司の職務も内侍司によって次第に代行されるようになった。奈良時代から平安時代初期にかけては、尚侍が尚蔵を兼ねる例も多い。また三関は平安時代に入ると機能が低下して廃絶され、平安時代中期以後、神鏡は内侍所のあるに、神璽・神剣は天皇の側近く清涼殿に置かれた。そして、蔵司は村上天皇時代にいたって完全に見えなくなり、内侍司に吸収された。 (ja)
rdfs:label
  • 蔵司 (ja)
  • 蔵司 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of