花菱〆吉・花柳貞奴(はなびししめきち・はなやぎさだやっこ)は昭和期に活躍した女流漫才コンビ。 当時では珍しい女同士のしゃべくり漫才コンビ。一時海原お浜・小浜と2枚看板で競い合い売り出そうとしたがお浜・小浜ほど売れることはなかった。 花菱〆吉は体重90kgを超える巨体で、花柳貞奴は飄々とした細身の体。こので大小のコントラストで互いに容姿をけなしあったりしたネタなども行った。〆吉がふらっと倒れ重い体をゆっくり起こすギャグがあった。1939年4月、新興キネマ演芸部に所属の芸人で〆吉は花菱〆吉・〆太、貞奴は花柳貞奴・愛子という別々のコンビだったがコンビ別れののちに2人で組む。主な活動の場は地方、戦後は千日劇場、松竹芸能移籍後は角座に多く出演した。〆吉は体が大きいのが災いし、バス乗車中の事故で負傷したため1973年ごろにコンビを解消。同時に2人とも引退し、貞奴は京都の大徳寺の近所で隠居生活を送った。 2人の芸風は後の今いくよ・くるよに通じるところがある。

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  • 花菱〆吉・花柳貞奴(はなびししめきち・はなやぎさだやっこ)は昭和期に活躍した女流漫才コンビ。 当時では珍しい女同士のしゃべくり漫才コンビ。一時海原お浜・小浜と2枚看板で競い合い売り出そうとしたがお浜・小浜ほど売れることはなかった。 花菱〆吉は体重90kgを超える巨体で、花柳貞奴は飄々とした細身の体。こので大小のコントラストで互いに容姿をけなしあったりしたネタなども行った。〆吉がふらっと倒れ重い体をゆっくり起こすギャグがあった。1939年4月、新興キネマ演芸部に所属の芸人で〆吉は花菱〆吉・〆太、貞奴は花柳貞奴・愛子という別々のコンビだったがコンビ別れののちに2人で組む。主な活動の場は地方、戦後は千日劇場、松竹芸能移籍後は角座に多く出演した。〆吉は体が大きいのが災いし、バス乗車中の事故で負傷したため1973年ごろにコンビを解消。同時に2人とも引退し、貞奴は京都の大徳寺の近所で隠居生活を送った。 2人の芸風は後の今いくよ・くるよに通じるところがある。 (ja)
  • 花菱〆吉・花柳貞奴(はなびししめきち・はなやぎさだやっこ)は昭和期に活躍した女流漫才コンビ。 当時では珍しい女同士のしゃべくり漫才コンビ。一時海原お浜・小浜と2枚看板で競い合い売り出そうとしたがお浜・小浜ほど売れることはなかった。 花菱〆吉は体重90kgを超える巨体で、花柳貞奴は飄々とした細身の体。こので大小のコントラストで互いに容姿をけなしあったりしたネタなども行った。〆吉がふらっと倒れ重い体をゆっくり起こすギャグがあった。1939年4月、新興キネマ演芸部に所属の芸人で〆吉は花菱〆吉・〆太、貞奴は花柳貞奴・愛子という別々のコンビだったがコンビ別れののちに2人で組む。主な活動の場は地方、戦後は千日劇場、松竹芸能移籍後は角座に多く出演した。〆吉は体が大きいのが災いし、バス乗車中の事故で負傷したため1973年ごろにコンビを解消。同時に2人とも引退し、貞奴は京都の大徳寺の近所で隠居生活を送った。 2人の芸風は後の今いくよ・くるよに通じるところがある。 (ja)
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  • 花菱〆吉・花柳貞奴(はなびししめきち・はなやぎさだやっこ)は昭和期に活躍した女流漫才コンビ。 当時では珍しい女同士のしゃべくり漫才コンビ。一時海原お浜・小浜と2枚看板で競い合い売り出そうとしたがお浜・小浜ほど売れることはなかった。 花菱〆吉は体重90kgを超える巨体で、花柳貞奴は飄々とした細身の体。こので大小のコントラストで互いに容姿をけなしあったりしたネタなども行った。〆吉がふらっと倒れ重い体をゆっくり起こすギャグがあった。1939年4月、新興キネマ演芸部に所属の芸人で〆吉は花菱〆吉・〆太、貞奴は花柳貞奴・愛子という別々のコンビだったがコンビ別れののちに2人で組む。主な活動の場は地方、戦後は千日劇場、松竹芸能移籍後は角座に多く出演した。〆吉は体が大きいのが災いし、バス乗車中の事故で負傷したため1973年ごろにコンビを解消。同時に2人とも引退し、貞奴は京都の大徳寺の近所で隠居生活を送った。 2人の芸風は後の今いくよ・くるよに通じるところがある。 (ja)
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  • 花菱〆吉・花柳貞奴 (ja)
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