興徳王(こうとくおう、777年 - 836年)は、新羅の第42代の王(在位:826年 - 836年)であり、姓は金、諱は秀宗、のちに景徽(けいき)と改名した。父は第38代元聖王の元太子の金仁謙(昭聖王により恵忠大王と追封)、母は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人(聖穆太后と追封)であり、第39代昭聖王・第41代憲徳王の同母弟である。王妃は昭聖王の娘の章和夫人。826年10月、先代の憲徳王が死去すると、副君の位にあった秀昇が即位した。