興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。