興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。

Property Value
dbo:abstract
  • 興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。 (ja)
  • 興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 3776572 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1040 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 87683067 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。 (ja)
  • 興山寺(こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「興山寺」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。 (ja)
rdfs:label
  • 興山寺 (廃寺) (ja)
  • 興山寺 (廃寺) (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageDisambiguates of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of