肥田 昭作(ひだ しょうさく、1842年11月25日(天保13年10月23日) - 1921年(大正10年))は、明治時代の日本の文部官僚、実業家。旧名昭敷、玄次郎(玄二郎、鉉次郎)。 第四大学区第一番中学(京都大学の前身の1つ)学長、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)、東京英語学校(東京大学教養学部の前身)校長、第十五国立銀行(旧三井銀行の前身の1つ)副支配人、第百十九国立銀行(旧三菱銀行の前身)および頭取を歴任した。