肝付 兼重(きもつき かねしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。肝付氏8代当主。 6代当主・の次男として誕生。当初は肝付氏庶流・荻原氏(肝付氏初代の弟・の子孫か)の家督を継いで日向三俣の領主であったが、兄で7代当主・が訴訟事件で鎌倉に詰めており、その嫡子は幼少であったため、兄兼尚のとして領地経営を行い、やがて本家の家督も相続した。