翔鳳丸(しょうほうまる)は、鉄道省青函航路で運航された車載客船で、同型船に飛鸞丸(ひらんまる)・津軽丸(つがるまる)(初代)・松前丸(まつまえまる)(初代)があり、これらを含めた4隻を翔鳳丸型と呼び、本船はその第1船であった。日本で最初の車載客船で、後に建造される車載客船・車両渡船の原型となった。 国有化以降、客貨輸送量の増加著しい青函航路では、1914年(大正3年)の第一次世界大戦勃発後は、海運貨物の鉄道への転移も加わり、その増加はさらに加速、1917年(大正6年)頃から、貨物の積替えを必要とする一般型船舶の、それもハシケを用いた沖荷役では、円滑な貨物輸送が困難な状態に陥った。これに対する抜本的な対策として、貨物を積載した貨車を、陸上軌道からそのまま船内軌道へ機関車で押し込んで積載し、相手港では、逆に船内軌道から陸上軌道へ機関車で引き出して陸揚げする「車両航送」が導入された。この車両航送を行う客船として建造されたのが、これら4隻の車載客船であった。 翔鳳丸と飛鸞丸は浦賀船渠で、津軽丸と松前丸は三菱造船長崎造船所で建造され、これら両造船所製の間には船体構造等に相違が見られた。全て第二次世界大戦末期の1945年の空襲で失われた。 ここでは、これら翔鳳丸型と、青函航路における車両航送システムについて記述する。

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  • 翔鳳丸(しょうほうまる)は、鉄道省青函航路で運航された車載客船で、同型船に飛鸞丸(ひらんまる)・津軽丸(つがるまる)(初代)・松前丸(まつまえまる)(初代)があり、これらを含めた4隻を翔鳳丸型と呼び、本船はその第1船であった。日本で最初の車載客船で、後に建造される車載客船・車両渡船の原型となった。 国有化以降、客貨輸送量の増加著しい青函航路では、1914年(大正3年)の第一次世界大戦勃発後は、海運貨物の鉄道への転移も加わり、その増加はさらに加速、1917年(大正6年)頃から、貨物の積替えを必要とする一般型船舶の、それもハシケを用いた沖荷役では、円滑な貨物輸送が困難な状態に陥った。これに対する抜本的な対策として、貨物を積載した貨車を、陸上軌道からそのまま船内軌道へ機関車で押し込んで積載し、相手港では、逆に船内軌道から陸上軌道へ機関車で引き出して陸揚げする「車両航送」が導入された。この車両航送を行う客船として建造されたのが、これら4隻の車載客船であった。 翔鳳丸と飛鸞丸は浦賀船渠で、津軽丸と松前丸は三菱造船長崎造船所で建造され、これら両造船所製の間には船体構造等に相違が見られた。全て第二次世界大戦末期の1945年の空襲で失われた。 ここでは、これら翔鳳丸型と、青函航路における車両航送システムについて記述する。 (ja)
  • 翔鳳丸(しょうほうまる)は、鉄道省青函航路で運航された車載客船で、同型船に飛鸞丸(ひらんまる)・津軽丸(つがるまる)(初代)・松前丸(まつまえまる)(初代)があり、これらを含めた4隻を翔鳳丸型と呼び、本船はその第1船であった。日本で最初の車載客船で、後に建造される車載客船・車両渡船の原型となった。 国有化以降、客貨輸送量の増加著しい青函航路では、1914年(大正3年)の第一次世界大戦勃発後は、海運貨物の鉄道への転移も加わり、その増加はさらに加速、1917年(大正6年)頃から、貨物の積替えを必要とする一般型船舶の、それもハシケを用いた沖荷役では、円滑な貨物輸送が困難な状態に陥った。これに対する抜本的な対策として、貨物を積載した貨車を、陸上軌道からそのまま船内軌道へ機関車で押し込んで積載し、相手港では、逆に船内軌道から陸上軌道へ機関車で引き出して陸揚げする「車両航送」が導入された。この車両航送を行う客船として建造されたのが、これら4隻の車載客船であった。 翔鳳丸と飛鸞丸は浦賀船渠で、津軽丸と松前丸は三菱造船長崎造船所で建造され、これら両造船所製の間には船体構造等に相違が見られた。全て第二次世界大戦末期の1945年の空襲で失われた。 ここでは、これら翔鳳丸型と、青函航路における車両航送システムについて記述する。 (ja)
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  • 翔鳳丸(しょうほうまる)は、鉄道省青函航路で運航された車載客船で、同型船に飛鸞丸(ひらんまる)・津軽丸(つがるまる)(初代)・松前丸(まつまえまる)(初代)があり、これらを含めた4隻を翔鳳丸型と呼び、本船はその第1船であった。日本で最初の車載客船で、後に建造される車載客船・車両渡船の原型となった。 国有化以降、客貨輸送量の増加著しい青函航路では、1914年(大正3年)の第一次世界大戦勃発後は、海運貨物の鉄道への転移も加わり、その増加はさらに加速、1917年(大正6年)頃から、貨物の積替えを必要とする一般型船舶の、それもハシケを用いた沖荷役では、円滑な貨物輸送が困難な状態に陥った。これに対する抜本的な対策として、貨物を積載した貨車を、陸上軌道からそのまま船内軌道へ機関車で押し込んで積載し、相手港では、逆に船内軌道から陸上軌道へ機関車で引き出して陸揚げする「車両航送」が導入された。この車両航送を行う客船として建造されたのが、これら4隻の車載客船であった。 翔鳳丸と飛鸞丸は浦賀船渠で、津軽丸と松前丸は三菱造船長崎造船所で建造され、これら両造船所製の間には船体構造等に相違が見られた。全て第二次世界大戦末期の1945年の空襲で失われた。 ここでは、これら翔鳳丸型と、青函航路における車両航送システムについて記述する。 (ja)
  • 翔鳳丸(しょうほうまる)は、鉄道省青函航路で運航された車載客船で、同型船に飛鸞丸(ひらんまる)・津軽丸(つがるまる)(初代)・松前丸(まつまえまる)(初代)があり、これらを含めた4隻を翔鳳丸型と呼び、本船はその第1船であった。日本で最初の車載客船で、後に建造される車載客船・車両渡船の原型となった。 国有化以降、客貨輸送量の増加著しい青函航路では、1914年(大正3年)の第一次世界大戦勃発後は、海運貨物の鉄道への転移も加わり、その増加はさらに加速、1917年(大正6年)頃から、貨物の積替えを必要とする一般型船舶の、それもハシケを用いた沖荷役では、円滑な貨物輸送が困難な状態に陥った。これに対する抜本的な対策として、貨物を積載した貨車を、陸上軌道からそのまま船内軌道へ機関車で押し込んで積載し、相手港では、逆に船内軌道から陸上軌道へ機関車で引き出して陸揚げする「車両航送」が導入された。この車両航送を行う客船として建造されたのが、これら4隻の車載客船であった。 翔鳳丸と飛鸞丸は浦賀船渠で、津軽丸と松前丸は三菱造船長崎造船所で建造され、これら両造船所製の間には船体構造等に相違が見られた。全て第二次世界大戦末期の1945年の空襲で失われた。 ここでは、これら翔鳳丸型と、青函航路における車両航送システムについて記述する。 (ja)
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