紀南(きなん)は、紀伊国(現 和歌山県全域と三重県南部の東紀州)の南部である。紀南地方・紀南地域・紀南エリアなどとも呼ぶ。牟婁、あるいは熊野とほぼ一致する。 紀北とに、あるいは紀北に対する。古い地名ではなく、紀北・紀南の初出は1916年である。 ただし、1つの地域として呼ぶことは少なく、和歌山県と三重県のそれぞれで県土の一部を紀南と呼び、県外は考慮しないことが多い。それでも、両県の紀南は、県境でもある熊野川で接している。 南紀とも呼ぶが、「南紀徳川史」などの語でもわかるとおり、本来は南紀とは紀伊国の別名(南海道紀伊国の略)である。

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  • 紀南(きなん)は、紀伊国(現 和歌山県全域と三重県南部の東紀州)の南部である。紀南地方・紀南地域・紀南エリアなどとも呼ぶ。牟婁、あるいは熊野とほぼ一致する。 紀北とに、あるいは紀北に対する。古い地名ではなく、紀北・紀南の初出は1916年である。 ただし、1つの地域として呼ぶことは少なく、和歌山県と三重県のそれぞれで県土の一部を紀南と呼び、県外は考慮しないことが多い。それでも、両県の紀南は、県境でもある熊野川で接している。 南紀とも呼ぶが、「南紀徳川史」などの語でもわかるとおり、本来は南紀とは紀伊国の別名(南海道紀伊国の略)である。 (ja)
  • 紀南(きなん)は、紀伊国(現 和歌山県全域と三重県南部の東紀州)の南部である。紀南地方・紀南地域・紀南エリアなどとも呼ぶ。牟婁、あるいは熊野とほぼ一致する。 紀北とに、あるいは紀北に対する。古い地名ではなく、紀北・紀南の初出は1916年である。 ただし、1つの地域として呼ぶことは少なく、和歌山県と三重県のそれぞれで県土の一部を紀南と呼び、県外は考慮しないことが多い。それでも、両県の紀南は、県境でもある熊野川で接している。 南紀とも呼ぶが、「南紀徳川史」などの語でもわかるとおり、本来は南紀とは紀伊国の別名(南海道紀伊国の略)である。 (ja)
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