篠原 淺茅(しのはら あさぢ、本名:淺野靜子、1898年(明治31年)10月30日 - 没年不明)は元宝塚少女歌劇団主演娘役クラスの人物である。大阪府大阪市出身。特技はソプラノ。妹は宝塚歌劇団10期生の。 1919年頃には、雲井浪子・高峰妙子・高砂松子らと共に、『寳塚四天王』として人気の中心にいた。 芸名は小倉百人一首の第39番:参議等の 淺茅生の 小野の篠原 忍ぶれど 餘りて何どか 人の戀しき(あさぢふの をのゝ しのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこひしき) より命名された。