第6期本因坊戦(だい6きほんいんぼうせん)は、第5期本因坊戦終了後の1950年に開始され、1951年4月から行われた橋本昭宇本因坊と挑戦者坂田栄男七段による七番勝負で、橋本が4勝3敗で本因坊位を防衛した。この第6期から、それまでの1期2年から1期1年制に改められ、またそれが契機となって関西棋院独立問題が発生し、関西棋院の橋本と日本棋院の坂田による挑戦手合は東西対立の様相を帯びて緊迫したものとなった。