竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月5日(1865年11月22日) - 昭和25年(1950年)1月12日)は、日本の明治から戦前昭和にかけての歴史学者・思想史家・殖民学者・政治家。衆議院議員・枢密顧問官・貴族院勅選議員・宮内省臨時帝室編修局御用掛、同編修官長などを歴任し、戦後に公職追放指定を受け、一切の職を辞任。位階は正三位、勲等は勲一等。号は三叉(さんさ)。 明治・大正・戦前昭和の3つの時代に渡り言論界をリード。日刊雑誌『』主筆を皮切りに、「世界の日本乎、亞細亞の日本乎」 を以て自由帝国主義に根差した独自の文明史観で多くの著述を行った。またイギリスのホイッグ史観の代表的歴史家のトーマス・マコーリーに影響を受け「新日本史」と「二千五百年史」を著述した竹越は「日本のマコウレー」と言われた。