立花 峯均(たちばな みねひら、寛文11年(1671年)- 延享2年12月19日(1746年1月10日)は、江戸中期のの茶人。宮本武蔵の流れを汲む筑前二天流第5代の兵法家。初名は久太郎、のち専太夫。諱は峯均。号は宗樸、無華、寧拙など、晩年の道号は廓巖。また、宮本武蔵の伝記『兵法大祖武州玄信公伝来』の奥書に「丹治峯均入道廓巖翁」と記したことから、丹治 峯均(たんじ ほうきん)の名でも知られる。