秋田騒動(あきたそうどう)とは、1757年(宝暦7年)に久保田藩(秋田藩・佐竹藩)で発生した銀札と言われる銀の兌換券を原因とする騒動である。秋田騒動によって銀札の兌換を担当した商家の多くはつぶれ、銀札推進派の藩士らは切腹などの処分を受けた。 その騒動がお家騒動にまで至らなかったと考える人は銀札事件という名が適切だと主張するが、お家騒動まで至ったと考える人は佐竹騒動という名前も使用するほか、宝暦事件とも呼ばれる。また、石井忠行は江戸時代に「丑年騒動」と言われていたことを記録している。お家騒動に至るかいなかで事件に関する記述は全く異なる。例えば、『秋田県史』などでは家臣団の陰謀の話は全く語られていない。 秋田騒動は悪女妲己のお百と結びつき、歌舞伎・小説・講談・映画・落語の題材として何度も扱われている。