碧川 好尚 (みどりかわ よしひさ 文化4年(1807年)-?)は、江戸時代後期の国学者。伊予国(現、愛媛県)新谷藩士。平田篤胤の門人で、篤胤の養子となった平田銕胤の実弟。銕胤より8歳下。生田万とならぶ平田塾二大高弟の一人。通称は卯之助、操之助。