石原 舟月(いしはら しゅうげつ、1892年3月7日 - 1984年10月13日)は、大正・昭和期の俳人。現在の山梨県笛吹市御坂町生まれ。本名は起之郎。慶應義塾大学経済学部理財科卒業。 1921年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。のち「雲母」同人。1932年、東京電柱広告社を創業し、後に東広会長。戦後は一時期東京の自宅に「雲母」発行所を移し、復刊・継続に貢献した(1946年-1951年)。 「雲母」一筋の俳人で、実業に携わりながら自然と生活を深い詩情をもって詠んだ。1976年、勲五等瑞宝章受章。1980年、俳人協会名誉会員。1981年、『雨情』により第15回蛇笏賞を受賞。他の句集に『山鵲』『仮泊』など。俳人の石原八束、は息子。

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  • 石原 舟月(いしはら しゅうげつ、1892年3月7日 - 1984年10月13日)は、大正・昭和期の俳人。現在の山梨県笛吹市御坂町生まれ。本名は起之郎。慶應義塾大学経済学部理財科卒業。 1921年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。のち「雲母」同人。1932年、東京電柱広告社を創業し、後に東広会長。戦後は一時期東京の自宅に「雲母」発行所を移し、復刊・継続に貢献した(1946年-1951年)。 「雲母」一筋の俳人で、実業に携わりながら自然と生活を深い詩情をもって詠んだ。1976年、勲五等瑞宝章受章。1980年、俳人協会名誉会員。1981年、『雨情』により第15回蛇笏賞を受賞。他の句集に『山鵲』『仮泊』など。俳人の石原八束、は息子。 (ja)
  • 石原 舟月(いしはら しゅうげつ、1892年3月7日 - 1984年10月13日)は、大正・昭和期の俳人。現在の山梨県笛吹市御坂町生まれ。本名は起之郎。慶應義塾大学経済学部理財科卒業。 1921年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。のち「雲母」同人。1932年、東京電柱広告社を創業し、後に東広会長。戦後は一時期東京の自宅に「雲母」発行所を移し、復刊・継続に貢献した(1946年-1951年)。 「雲母」一筋の俳人で、実業に携わりながら自然と生活を深い詩情をもって詠んだ。1976年、勲五等瑞宝章受章。1980年、俳人協会名誉会員。1981年、『雨情』により第15回蛇笏賞を受賞。他の句集に『山鵲』『仮泊』など。俳人の石原八束、は息子。 (ja)
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  • 石原 舟月(いしはら しゅうげつ、1892年3月7日 - 1984年10月13日)は、大正・昭和期の俳人。現在の山梨県笛吹市御坂町生まれ。本名は起之郎。慶應義塾大学経済学部理財科卒業。 1921年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。のち「雲母」同人。1932年、東京電柱広告社を創業し、後に東広会長。戦後は一時期東京の自宅に「雲母」発行所を移し、復刊・継続に貢献した(1946年-1951年)。 「雲母」一筋の俳人で、実業に携わりながら自然と生活を深い詩情をもって詠んだ。1976年、勲五等瑞宝章受章。1980年、俳人協会名誉会員。1981年、『雨情』により第15回蛇笏賞を受賞。他の句集に『山鵲』『仮泊』など。俳人の石原八束、は息子。 (ja)
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  • 石原舟月 (ja)
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