石井 常永(いしい つねなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏および佐賀藩主鍋島氏の家臣。 通称は新五左衛門尉。佐嘉郡飯盛城主で、龍造寺隆信の御馬廻衆をつとめた石井刑部少輔常忠の三男。母は石井石見守忠次の娘。 佐賀藩祖鍋島直茂・陽泰院夫妻の甥で、初代藩主勝茂の従兄にあたる。 佐賀藩士石井新五左衛門家(家禄375石)の初代である。なお、2代当主藤左衛門常良の妻は、佐賀藩家老と、陽泰院の娘(瑞光院)の間に生まれた。常良の嫡男新五左衛門良房は、陽泰院の曾孫にあたる。 永禄6年(1565年)6月、龍造寺隆信は、肥前国三根郡主を攻めたが、隆信の信任が厚かった母方の伯父の石井源次郎忠修が戦死した。隆信は、忠修の死を惜しんで、常永に忠修の名跡を継ぐように命じたと伝わる。

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  • 石井 常永(いしい つねなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏および佐賀藩主鍋島氏の家臣。 通称は新五左衛門尉。佐嘉郡飯盛城主で、龍造寺隆信の御馬廻衆をつとめた石井刑部少輔常忠の三男。母は石井石見守忠次の娘。 佐賀藩祖鍋島直茂・陽泰院夫妻の甥で、初代藩主勝茂の従兄にあたる。 佐賀藩士石井新五左衛門家(家禄375石)の初代である。なお、2代当主藤左衛門常良の妻は、佐賀藩家老と、陽泰院の娘(瑞光院)の間に生まれた。常良の嫡男新五左衛門良房は、陽泰院の曾孫にあたる。 永禄6年(1565年)6月、龍造寺隆信は、肥前国三根郡主を攻めたが、隆信の信任が厚かった母方の伯父の石井源次郎忠修が戦死した。隆信は、忠修の死を惜しんで、常永に忠修の名跡を継ぐように命じたと伝わる。 (ja)
  • 石井 常永(いしい つねなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏および佐賀藩主鍋島氏の家臣。 通称は新五左衛門尉。佐嘉郡飯盛城主で、龍造寺隆信の御馬廻衆をつとめた石井刑部少輔常忠の三男。母は石井石見守忠次の娘。 佐賀藩祖鍋島直茂・陽泰院夫妻の甥で、初代藩主勝茂の従兄にあたる。 佐賀藩士石井新五左衛門家(家禄375石)の初代である。なお、2代当主藤左衛門常良の妻は、佐賀藩家老と、陽泰院の娘(瑞光院)の間に生まれた。常良の嫡男新五左衛門良房は、陽泰院の曾孫にあたる。 永禄6年(1565年)6月、龍造寺隆信は、肥前国三根郡主を攻めたが、隆信の信任が厚かった母方の伯父の石井源次郎忠修が戦死した。隆信は、忠修の死を惜しんで、常永に忠修の名跡を継ぐように命じたと伝わる。 (ja)
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  • 石井 常永(いしい つねなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏および佐賀藩主鍋島氏の家臣。 通称は新五左衛門尉。佐嘉郡飯盛城主で、龍造寺隆信の御馬廻衆をつとめた石井刑部少輔常忠の三男。母は石井石見守忠次の娘。 佐賀藩祖鍋島直茂・陽泰院夫妻の甥で、初代藩主勝茂の従兄にあたる。 佐賀藩士石井新五左衛門家(家禄375石)の初代である。なお、2代当主藤左衛門常良の妻は、佐賀藩家老と、陽泰院の娘(瑞光院)の間に生まれた。常良の嫡男新五左衛門良房は、陽泰院の曾孫にあたる。 永禄6年(1565年)6月、龍造寺隆信は、肥前国三根郡主を攻めたが、隆信の信任が厚かった母方の伯父の石井源次郎忠修が戦死した。隆信は、忠修の死を惜しんで、常永に忠修の名跡を継ぐように命じたと伝わる。 (ja)
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