矢部 定謙(やべ さだのり、寛政元年(1789年) - 天保13年7月24日(1842年8月29日))は、江戸時代後期の旗本。通称は彦五郎。位階は従五位下、官職は駿河守から左近衛将監に遷任し、駿河守に再任。大坂西町奉行時代、天保の飢饉に際して大塩平八郎の助言をえて窮民を救済したが、のちに大塩から「奸佞(かんねい)」との告発を受けた。天保12年(1841年)に江戸南町奉行に任じられたが、江戸幕府の老中水野忠邦と対立し、約8か月で罷免された。処分を不服として絶食し、それが原因で死去した。