相給(あいきゅう)とは、村請制が確立した近世期における領知の一形態を表す言葉である。一つの村落に対し複数の領主が割り当てられている状態を指す。村(郷)が分割されたために分郷(ぶんごう)とも言った。なお、「長岡市史」などの越後長岡藩の歴史では「分散地方知行制」という表現がなされている。