益田 就高(ますだ なりたか、寛文元年(1661年) - 享保8年1月30日(1723年))は、長州藩主毛利家の家臣。寄組問田益田家3代。 父はで、伯父の就固の養子になる。正室は宍戸就附の娘。後妻は京都人田中五兵衛の娘。継室は京都人松下見林の娘。子は広尭、宍道広慶。養子に(毛利就芝二男)、元言(秋里之勝二男)がいる。娘は佐世広玄の室、元言の室らがいる。通称は七郎兵衛、孫左衛門、図書、織部。