皆川 四郎(みながわ しろう、1852年 - 1911年)は日本の実業家。旧姓は岩崎。幼名は馬之助。 信濃国伊那郡中村(現長野県飯田市)に生まれ、飯田城下の皆川家の養子となる。維新後に上京し、安井息軒に師事した後、代言人となったが実業界に転身する。皆川四郎は幕末の豪商伊藤八兵衛の八女信子と結婚する。信子の姉は渋沢栄一の妻兼子で、この結婚により渋沢ファミリーの団体竜門社の一員となった。皆川四郎は第一銀行に入行し、石巻支店長を経て、東京電灯会社支配人となる。また株式会社化した東京歌舞伎座(第2期)を創立した。1898年第5回衆議院議員総選挙に長野県第7区から出馬し当選した。