白州灯台(しらすとうだい、白洲灯台とも)は福岡県北九州市小倉北区の沖合い、日本海・響灘中にある藍島(あいのしま)の西方約 2 km(若松区の北沖合い約 5 km)にある岩礁「白州」(白洲)に立つ上部鉄造・下部石造の灯台。 関門海峡北側の浅瀬・暗礁の多いこの地帯では江戸時代から海難事故が頻発していた。幕末の文久年間に小倉藩海上御用掛難破船支配役に任命されていた豊前国企救郡長浜浦(現在の北九州市小倉北区長浜町)の庄屋であった岩松助左衛門が灯台の建設を決意し、独力で建設に着手。基礎工事が完成した時点で明治政府に引き継がれ、1873年(明治6年)に初代の木造灯台が完成した。当初は白色塗りであったが、1876年(明治9年)に白帆と区別しやすいように白黒の塗りわけに変更された。その後、現在の上部鉄造・下部石造に改築されたが、白黒の塗りわけは引き継がれた。 この灯台は日本の灯台50選に選ばれている。