白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年) - 1818年5月15日(文化15年4月11日))は、江戸時代の大相撲の大関である。出羽国(現秋田県北秋田市坊沢)出身。地元では「坊沢(ぼんじゃ)の徳」として民話の題材になり語り継がれている。 1796年(寛政8年)に米内沢に巡業に来た大関小野川に見込まれる。後に大関柏戸宗五郎の弟子になる。1810年(文化7年)に桑ノ弓徳右エ門の四股名で初入幕する。11月に関脇、翌年1月には白川志賀右エ門(2代目白川志賀右エ門)と改名し、西大関に昇進する。翌年に白川志賀右衛門とし西関脇になるが、そこで引退する。