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- 『異邦人の河』(いほうじんのかわ)は、1975年7月1日に公開された日本映画である。115分。 李學仁が脚本・監督で、これが自身の処女作となる。李學仁が、カメラマンのとともに作った緑豆プロダクションの第1回作品。 製作者として中村敦夫が李學仁とともに名を連ねている。中村敦夫によると、1975年正月、李學仁がシナリオを持参し、中村が代表を務めていた番衆プロダクションを訪れた。シナリオを読んだ中村は「恋の部分はやたらセンチメンタルで、物語の軸の方は、むき出しの政治スローガンだった。乱暴すぎて『作品』になっていなかった」と感じたが、シナリオの持つ「時代へのメッセージ性」を買い、プロデュースを引き受けた。 製作費は中村が提供。米倉斉加年、菅貫太郎、河原崎長一郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬淵晴子、宇都宮雅代、絵沢萠子らが中村の呼びかけに応じ、ノーギャラで出演した。 主演のジョニー大倉(朴雲煥名義)は、1972年に矢沢永吉とともに結成したバンド「キャロル」が75年に解散した後、在日韓国人二世である事をカミングアウトし、この映画に主演した。 ヒロインの大関優子(後の佳那晃子)は、中村敦夫が主演したテレビドラマ『水滸伝』コンテストで二位に入り、審査員を務めた中村のすすめで番衆プロダクションに所属していた。 中村敦夫によると、撮影現場は「険悪」で、日本人、在日韓国人、在日朝鮮人同士で誤解や対立が生じていた。さらに「監督自身の性格の幼稚な部分が、トラブルの原因になることも少なくなかった。公私がごっちゃになり、主演女優に惚れ込んでしまったのはよいが、女優に嫌われ、撮影現場で喧嘩が始まったりした」。こうしたトラブルが怒る度に中村が仲裁に入り、「歴史をきちんと清算しなかったつけが、こんな状況を作ってしまうのかという重い実感があった」という。 東京の日本青年館で先行上映され、「初日から満員だった。九日間で九千人を動員することができた」。その後、全国を巡回し、一年間で資金を回収できたという。 (ja)
- 『異邦人の河』(いほうじんのかわ)は、1975年7月1日に公開された日本映画である。115分。 李學仁が脚本・監督で、これが自身の処女作となる。李學仁が、カメラマンのとともに作った緑豆プロダクションの第1回作品。 製作者として中村敦夫が李學仁とともに名を連ねている。中村敦夫によると、1975年正月、李學仁がシナリオを持参し、中村が代表を務めていた番衆プロダクションを訪れた。シナリオを読んだ中村は「恋の部分はやたらセンチメンタルで、物語の軸の方は、むき出しの政治スローガンだった。乱暴すぎて『作品』になっていなかった」と感じたが、シナリオの持つ「時代へのメッセージ性」を買い、プロデュースを引き受けた。 製作費は中村が提供。米倉斉加年、菅貫太郎、河原崎長一郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬淵晴子、宇都宮雅代、絵沢萠子らが中村の呼びかけに応じ、ノーギャラで出演した。 主演のジョニー大倉(朴雲煥名義)は、1972年に矢沢永吉とともに結成したバンド「キャロル」が75年に解散した後、在日韓国人二世である事をカミングアウトし、この映画に主演した。 ヒロインの大関優子(後の佳那晃子)は、中村敦夫が主演したテレビドラマ『水滸伝』コンテストで二位に入り、審査員を務めた中村のすすめで番衆プロダクションに所属していた。 中村敦夫によると、撮影現場は「険悪」で、日本人、在日韓国人、在日朝鮮人同士で誤解や対立が生じていた。さらに「監督自身の性格の幼稚な部分が、トラブルの原因になることも少なくなかった。公私がごっちゃになり、主演女優に惚れ込んでしまったのはよいが、女優に嫌われ、撮影現場で喧嘩が始まったりした」。こうしたトラブルが怒る度に中村が仲裁に入り、「歴史をきちんと清算しなかったつけが、こんな状況を作ってしまうのかという重い実感があった」という。 東京の日本青年館で先行上映され、「初日から満員だった。九日間で九千人を動員することができた」。その後、全国を巡回し、一年間で資金を回収できたという。 (ja)
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- 『異邦人の河』(いほうじんのかわ)は、1975年7月1日に公開された日本映画である。115分。 李學仁が脚本・監督で、これが自身の処女作となる。李學仁が、カメラマンのとともに作った緑豆プロダクションの第1回作品。 製作者として中村敦夫が李學仁とともに名を連ねている。中村敦夫によると、1975年正月、李學仁がシナリオを持参し、中村が代表を務めていた番衆プロダクションを訪れた。シナリオを読んだ中村は「恋の部分はやたらセンチメンタルで、物語の軸の方は、むき出しの政治スローガンだった。乱暴すぎて『作品』になっていなかった」と感じたが、シナリオの持つ「時代へのメッセージ性」を買い、プロデュースを引き受けた。 製作費は中村が提供。米倉斉加年、菅貫太郎、河原崎長一郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬淵晴子、宇都宮雅代、絵沢萠子らが中村の呼びかけに応じ、ノーギャラで出演した。 主演のジョニー大倉(朴雲煥名義)は、1972年に矢沢永吉とともに結成したバンド「キャロル」が75年に解散した後、在日韓国人二世である事をカミングアウトし、この映画に主演した。 ヒロインの大関優子(後の佳那晃子)は、中村敦夫が主演したテレビドラマ『水滸伝』コンテストで二位に入り、審査員を務めた中村のすすめで番衆プロダクションに所属していた。 (ja)
- 『異邦人の河』(いほうじんのかわ)は、1975年7月1日に公開された日本映画である。115分。 李學仁が脚本・監督で、これが自身の処女作となる。李學仁が、カメラマンのとともに作った緑豆プロダクションの第1回作品。 製作者として中村敦夫が李學仁とともに名を連ねている。中村敦夫によると、1975年正月、李學仁がシナリオを持参し、中村が代表を務めていた番衆プロダクションを訪れた。シナリオを読んだ中村は「恋の部分はやたらセンチメンタルで、物語の軸の方は、むき出しの政治スローガンだった。乱暴すぎて『作品』になっていなかった」と感じたが、シナリオの持つ「時代へのメッセージ性」を買い、プロデュースを引き受けた。 製作費は中村が提供。米倉斉加年、菅貫太郎、河原崎長一郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬淵晴子、宇都宮雅代、絵沢萠子らが中村の呼びかけに応じ、ノーギャラで出演した。 主演のジョニー大倉(朴雲煥名義)は、1972年に矢沢永吉とともに結成したバンド「キャロル」が75年に解散した後、在日韓国人二世である事をカミングアウトし、この映画に主演した。 ヒロインの大関優子(後の佳那晃子)は、中村敦夫が主演したテレビドラマ『水滸伝』コンテストで二位に入り、審査員を務めた中村のすすめで番衆プロダクションに所属していた。 (ja)
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