甲斐 有雄 (かい ありお、1829年(文政12年) - 1909年(明治42年))は、熊本県の石工、社会事業家。 熊本県阿蘇郡野尻村大字尾下(高森町)で石工を営み、野尻村の村会議員も務めた。その傍ら、石材に文字を彫り込み、熊本県のみに止まらず隣接の大分県・宮崎県の山間地や原野の細い田舎道の分岐点に総計約1800基の道標(みちしるべ)を設置した。この功績を称えて1958年(昭和33年)に「熊本県近代文化功労者」として顕賞された。 また、道標設置の記録や日記といった文献資料を残し、遺族により熊本県松橋収蔵庫に寄贈されている。

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  • 甲斐 有雄 (かい ありお、1829年(文政12年) - 1909年(明治42年))は、熊本県の石工、社会事業家。 熊本県阿蘇郡野尻村大字尾下(高森町)で石工を営み、野尻村の村会議員も務めた。その傍ら、石材に文字を彫り込み、熊本県のみに止まらず隣接の大分県・宮崎県の山間地や原野の細い田舎道の分岐点に総計約1800基の道標(みちしるべ)を設置した。この功績を称えて1958年(昭和33年)に「熊本県近代文化功労者」として顕賞された。 また、道標設置の記録や日記といった文献資料を残し、遺族により熊本県松橋収蔵庫に寄贈されている。 (ja)
  • 甲斐 有雄 (かい ありお、1829年(文政12年) - 1909年(明治42年))は、熊本県の石工、社会事業家。 熊本県阿蘇郡野尻村大字尾下(高森町)で石工を営み、野尻村の村会議員も務めた。その傍ら、石材に文字を彫り込み、熊本県のみに止まらず隣接の大分県・宮崎県の山間地や原野の細い田舎道の分岐点に総計約1800基の道標(みちしるべ)を設置した。この功績を称えて1958年(昭和33年)に「熊本県近代文化功労者」として顕賞された。 また、道標設置の記録や日記といった文献資料を残し、遺族により熊本県松橋収蔵庫に寄贈されている。 (ja)
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  • 甲斐有雄 (ja)
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