由義宮(ゆげのみや、ゆげぐう)は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。平城京の西の都「西京」(にしのきょう)とされた。奈良時代の神護景雲3年(769年)から宝亀元年(770年)頃まで存続した。八尾市八尾木北にあるの境内に「由義宮旧址」の石碑が建っているが、『続日本紀』などの史書には具体的な所在地は記されていない。2017年時点までの発掘調査では、由義神社から南へやや離れた場所にある東弓削遺跡が、弓削寺(由義寺)及びその近くに造営された由義宮の所在地であった可能性が有力視されている。

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  • 由義宮(ゆげのみや、ゆげぐう)は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。平城京の西の都「西京」(にしのきょう)とされた。奈良時代の神護景雲3年(769年)から宝亀元年(770年)頃まで存続した。八尾市八尾木北にあるの境内に「由義宮旧址」の石碑が建っているが、『続日本紀』などの史書には具体的な所在地は記されていない。2017年時点までの発掘調査では、由義神社から南へやや離れた場所にある東弓削遺跡が、弓削寺(由義寺)及びその近くに造営された由義宮の所在地であった可能性が有力視されている。 (ja)
  • 由義宮(ゆげのみや、ゆげぐう)は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。平城京の西の都「西京」(にしのきょう)とされた。奈良時代の神護景雲3年(769年)から宝亀元年(770年)頃まで存続した。八尾市八尾木北にあるの境内に「由義宮旧址」の石碑が建っているが、『続日本紀』などの史書には具体的な所在地は記されていない。2017年時点までの発掘調査では、由義神社から南へやや離れた場所にある東弓削遺跡が、弓削寺(由義寺)及びその近くに造営された由義宮の所在地であった可能性が有力視されている。 (ja)
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  • 由義宮 (ja)
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