田村 顕寛(たむら あきひろ、万治2年(1659年) - 元禄9年7月4日(1696年8月1日))は江戸時代中期の旗本寄合席。一関藩主家田村氏分家の旗本田村家初代当主。諱は宗辰(むねとき)、顕寛。幼名は七郎、通称は主殿。父は田村宗良、母は仙台藩士の山口重如の娘。兄は田村建顕。弟は田村顕始、田村顕普、。実子は娘(建顕養女、(修理)の婚約者)のみ。