田中 寒楼(たなか かんろう、1877年2月16日 - 1970年3月12日)は、日本の俳人・歌人。 明治10年(1877年)、現鳥取市河原町小畑に生まれる。中学在学中より俳句に親しみ、新聞『日本』の投稿などで正岡子規より「因幡に寒楼あり」と注目された。小学校代用教員から校長になるも、その奇行と放浪癖から退職となる。京都で同郷の画家中島菜刀との共同生活を始めてから全国を転々と漂浪して奔放な哲学的人生を生き、晩年は鳥取市で過ごし昭和45年(1970年)、93歳で歿した。特異な宇宙観から時空を語り、俳句をはじめ短歌・書画など多岐に渡る作品を数多く残す。