田中 勝介(たなか しょうすけ、生没年不詳)は、江戸時代初期の京都の貿易商人。記録に残る上では、初めてアメリカ大陸に渡り、また太平洋を横断・往復した日本人とされる。勝助とも呼ばれる。 エスパーニャとの通商を試みての渡航であったが、通商に関しての具体的合意には至らなかった。ただし、合意には至らなかったのは、全権大使的立場にあるビスカイノと大御所家康との間で行われた協議の結果であり、勝介の責任ではなかった。帰国後の勝介は、家康に葡萄酒と羅紗を献上したことが『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。また、将軍徳川秀忠にも五色羅紗、葡萄酒、ヘレス酒(シェリー酒)を献上したといわれる。

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  • 田中 勝介(たなか しょうすけ、生没年不詳)は、江戸時代初期の京都の貿易商人。記録に残る上では、初めてアメリカ大陸に渡り、また太平洋を横断・往復した日本人とされる。勝助とも呼ばれる。 エスパーニャとの通商を試みての渡航であったが、通商に関しての具体的合意には至らなかった。ただし、合意には至らなかったのは、全権大使的立場にあるビスカイノと大御所家康との間で行われた協議の結果であり、勝介の責任ではなかった。帰国後の勝介は、家康に葡萄酒と羅紗を献上したことが『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。また、将軍徳川秀忠にも五色羅紗、葡萄酒、ヘレス酒(シェリー酒)を献上したといわれる。 (ja)
  • 田中 勝介(たなか しょうすけ、生没年不詳)は、江戸時代初期の京都の貿易商人。記録に残る上では、初めてアメリカ大陸に渡り、また太平洋を横断・往復した日本人とされる。勝助とも呼ばれる。 エスパーニャとの通商を試みての渡航であったが、通商に関しての具体的合意には至らなかった。ただし、合意には至らなかったのは、全権大使的立場にあるビスカイノと大御所家康との間で行われた協議の結果であり、勝介の責任ではなかった。帰国後の勝介は、家康に葡萄酒と羅紗を献上したことが『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。また、将軍徳川秀忠にも五色羅紗、葡萄酒、ヘレス酒(シェリー酒)を献上したといわれる。 (ja)
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  • 田中 勝介(たなか しょうすけ、生没年不詳)は、江戸時代初期の京都の貿易商人。記録に残る上では、初めてアメリカ大陸に渡り、また太平洋を横断・往復した日本人とされる。勝助とも呼ばれる。 エスパーニャとの通商を試みての渡航であったが、通商に関しての具体的合意には至らなかった。ただし、合意には至らなかったのは、全権大使的立場にあるビスカイノと大御所家康との間で行われた協議の結果であり、勝介の責任ではなかった。帰国後の勝介は、家康に葡萄酒と羅紗を献上したことが『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。また、将軍徳川秀忠にも五色羅紗、葡萄酒、ヘレス酒(シェリー酒)を献上したといわれる。 (ja)
  • 田中 勝介(たなか しょうすけ、生没年不詳)は、江戸時代初期の京都の貿易商人。記録に残る上では、初めてアメリカ大陸に渡り、また太平洋を横断・往復した日本人とされる。勝助とも呼ばれる。 エスパーニャとの通商を試みての渡航であったが、通商に関しての具体的合意には至らなかった。ただし、合意には至らなかったのは、全権大使的立場にあるビスカイノと大御所家康との間で行われた協議の結果であり、勝介の責任ではなかった。帰国後の勝介は、家康に葡萄酒と羅紗を献上したことが『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。また、将軍徳川秀忠にも五色羅紗、葡萄酒、ヘレス酒(シェリー酒)を献上したといわれる。 (ja)
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