生月 鯨太左衛門(いきつき(いくづき、あるいはいけづきとも) げいたざえもん、文政10年3月21日(1827年4月16日) - 嘉永3年5月24日(1850年7月3日))は、肥前国 松浦郡 生月島(現在の長崎県平戸市生月町)出身の江戸時代の力士。本名は、墨谷要作。身長が227cm、体重が169kgあり、日本一の巨漢力士であった。平戸藩生月島は江戸時代中期より捕鯨で有名となり、文政年間には日本一の捕鯨量を誇っていた。四股名はその生地と体格にちなんでつけられた。最高位は西張出前頭(初土俵から引退まで)。 東京都江東区にある富岡八幡宮に、巨人力士碑、巨人力士手形足形碑があり、その大きさを実感することができる。ちなみに、手形は長さ25cm、幅11cmもある。