玉屋庄兵衛(たまやしょうべえ)はからくり人形師。現在9代目。 享保18年(1733年)、現在の名古屋市中区錦1丁目から2丁目、伝馬橋東から伝馬通本町までの東照宮祭「林和靖車」の鶴からくりの修理と操作指導のために、8代将軍徳川吉宗の厳しい質素倹約策に対抗して、遊興や東照宮などの祭の奨励策をとっていた7代尾張藩主の徳川宗春が、京都で活動していたこのからくり人形師を名古屋に招いた事から、名古屋を訪れ、翌年名古屋を再訪し、そのまま玉屋町(本町通の南、現在の中区錦三丁目)に移りすんだことから玉屋庄兵衛と呼ばれるようになった。この人物を初代とする。生没年不明。