牛久助郷一揆(うしくすけごういっき)は、1804年(文化元年)に現在の茨城県牛久市で発生した一揆。牛久助郷一揆の特異性は、「水戸藩などにはみられない助郷重課による」騒動であるとした上で、領主関係が複雑を極めていること。牛久助郷一揆鎮圧に近隣諸藩に援助を求めていることから、「鎮圧が容易ではなかったことを示すと共に、武士の威厳のみを以てしては、このころの一揆はも早取り締り得なくなったことを物語るもの」と、幕府に相当な危機感を抱かせた。