無愧(むぎ)(梵: anapatrāpya、アナパトラーピヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。 破廉恥なこと。悪事を起しても、全く恥じないこと。客観的に反省する心がなく、世間体も人の思惑も気にしなくなる状態をさす。 説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『』によればに分類され、そのうち中随煩悩である。 五位七十五法の大善地法「愧」の逆の心作用。

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  • 無愧(むぎ)(梵: anapatrāpya、アナパトラーピヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。 破廉恥なこと。悪事を起しても、全く恥じないこと。客観的に反省する心がなく、世間体も人の思惑も気にしなくなる状態をさす。 説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『』によればに分類され、そのうち中随煩悩である。 五位七十五法の大善地法「愧」の逆の心作用。 (ja)
  • 無愧(むぎ)(梵: anapatrāpya、アナパトラーピヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。 破廉恥なこと。悪事を起しても、全く恥じないこと。客観的に反省する心がなく、世間体も人の思惑も気にしなくなる状態をさす。 説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『』によればに分類され、そのうち中随煩悩である。 五位七十五法の大善地法「愧」の逆の心作用。 (ja)
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  • 無愧 (ja)
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