19世紀後半および20世紀前半の一時期、火星の運河(かせいのうんが)が存在すると信じられていた。 「運河」とされたのは、天文学者によって写真の無い初期の低解像度の天体望遠鏡によって観測された、火星の北緯60度から南緯60度までの赤道付近の地域にある網目状の長い直線であった。1877年の衝の時期にイタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリによって初めて記述され、そして後の観測者らによって確認された。スキアパレッリはこうした線を「溝」(canali)と呼び、これが「運河」(canals)と英訳された。アイルランドの天文学者(en:Charles E. Burton)は、火星に直線状の地形を示す最初期のスケッチをいくつか描いているが、ただしそれはスキアパレッリのものとは一致しなかった。20世紀初頭には天文観測の進歩が「運河」は錯視であることを明らかにし、現代の火星探査機による高解像度の火星表面地図にもそのような地形は見られない。