浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮向けの便乗者らを乗せて舞鶴港にて触雷沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者549名(判明分)の死者をだした事件である。 青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、連合軍の命令を受けて舞鶴に目的地を変更、舞鶴港内で海底のアメリカ軍が敷設していた機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)の爆発により沈没した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件だが、日本軍およびアメリカ軍の公式記録では共に海底の機雷の爆発(触雷)による沈没とされている。なお自沈等謀略の風評が当時よりある。終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。

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  • 浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮向けの便乗者らを乗せて舞鶴港にて触雷沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者549名(判明分)の死者をだした事件である。 青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、連合軍の命令を受けて舞鶴に目的地を変更、舞鶴港内で海底のアメリカ軍が敷設していた機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)の爆発により沈没した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件だが、日本軍およびアメリカ軍の公式記録では共に海底の機雷の爆発(触雷)による沈没とされている。なお自沈等謀略の風評が当時よりある。終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。 (ja)
  • 浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮向けの便乗者らを乗せて舞鶴港にて触雷沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者549名(判明分)の死者をだした事件である。 青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、連合軍の命令を受けて舞鶴に目的地を変更、舞鶴港内で海底のアメリカ軍が敷設していた機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)の爆発により沈没した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件だが、日本軍およびアメリカ軍の公式記録では共に海底の機雷の爆発(触雷)による沈没とされている。なお自沈等謀略の風評が当時よりある。終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。 (ja)
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  • 大阪商船沖縄航路と浮島丸 (ja)
  • 浮島丸自沈説の出所 (ja)
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  • 浮島丸、1942年(特設巡洋艦時代) (ja)
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  • 浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮向けの便乗者らを乗せて舞鶴港にて触雷沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者549名(判明分)の死者をだした事件である。 青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、連合軍の命令を受けて舞鶴に目的地を変更、舞鶴港内で海底のアメリカ軍が敷設していた機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)の爆発により沈没した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件だが、日本軍およびアメリカ軍の公式記録では共に海底の機雷の爆発(触雷)による沈没とされている。なお自沈等謀略の風評が当時よりある。終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。 (ja)
  • 浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮向けの便乗者らを乗せて舞鶴港にて触雷沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者549名(判明分)の死者をだした事件である。 青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、連合軍の命令を受けて舞鶴に目的地を変更、舞鶴港内で海底のアメリカ軍が敷設していた機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)の爆発により沈没した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件だが、日本軍およびアメリカ軍の公式記録では共に海底の機雷の爆発(触雷)による沈没とされている。なお自沈等謀略の風評が当時よりある。終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。 (ja)
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