津軽 尹子(つがる ただこ、嘉永元年12月11日(1849年1月5日) - 明治33年(1900年)6月6日)は、幕末の津軽藩主(のち伯爵)津軽承昭の継室。信君と称す。 関白近衛忠煕の六女。当初は、かねて関係の深かった薩摩藩主島津家との関係で、島津斉彬の嫡子虎寿丸と婚約する手はずだったが、安政5年(1854年)に虎寿丸が早世したために破談となった。 慶応2年(1866年)5月、津軽藩主・津軽承昭と婚約する。承昭は、文久元年(1861年)に前室の常姫を亡くしており、継室となる。明治2年(1869年)に結婚した。明治18年(1885年)、名を信から尹子に改める。 明治33年(1900年)死没。東京上野寛永寺に葬られた。 承昭の跡を継いだ津軽英麿は、尹子の兄近衛忠房の次男である。

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  • 津軽 尹子(つがる ただこ、嘉永元年12月11日(1849年1月5日) - 明治33年(1900年)6月6日)は、幕末の津軽藩主(のち伯爵)津軽承昭の継室。信君と称す。 関白近衛忠煕の六女。当初は、かねて関係の深かった薩摩藩主島津家との関係で、島津斉彬の嫡子虎寿丸と婚約する手はずだったが、安政5年(1854年)に虎寿丸が早世したために破談となった。 慶応2年(1866年)5月、津軽藩主・津軽承昭と婚約する。承昭は、文久元年(1861年)に前室の常姫を亡くしており、継室となる。明治2年(1869年)に結婚した。明治18年(1885年)、名を信から尹子に改める。 明治33年(1900年)死没。東京上野寛永寺に葬られた。 承昭の跡を継いだ津軽英麿は、尹子の兄近衛忠房の次男である。 (ja)
  • 津軽 尹子(つがる ただこ、嘉永元年12月11日(1849年1月5日) - 明治33年(1900年)6月6日)は、幕末の津軽藩主(のち伯爵)津軽承昭の継室。信君と称す。 関白近衛忠煕の六女。当初は、かねて関係の深かった薩摩藩主島津家との関係で、島津斉彬の嫡子虎寿丸と婚約する手はずだったが、安政5年(1854年)に虎寿丸が早世したために破談となった。 慶応2年(1866年)5月、津軽藩主・津軽承昭と婚約する。承昭は、文久元年(1861年)に前室の常姫を亡くしており、継室となる。明治2年(1869年)に結婚した。明治18年(1885年)、名を信から尹子に改める。 明治33年(1900年)死没。東京上野寛永寺に葬られた。 承昭の跡を継いだ津軽英麿は、尹子の兄近衛忠房の次男である。 (ja)
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  • 明治初年に撮られたといわれる尹子の写真 (ja)
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  • 津軽 尹子(つがる ただこ、嘉永元年12月11日(1849年1月5日) - 明治33年(1900年)6月6日)は、幕末の津軽藩主(のち伯爵)津軽承昭の継室。信君と称す。 関白近衛忠煕の六女。当初は、かねて関係の深かった薩摩藩主島津家との関係で、島津斉彬の嫡子虎寿丸と婚約する手はずだったが、安政5年(1854年)に虎寿丸が早世したために破談となった。 慶応2年(1866年)5月、津軽藩主・津軽承昭と婚約する。承昭は、文久元年(1861年)に前室の常姫を亡くしており、継室となる。明治2年(1869年)に結婚した。明治18年(1885年)、名を信から尹子に改める。 明治33年(1900年)死没。東京上野寛永寺に葬られた。 承昭の跡を継いだ津軽英麿は、尹子の兄近衛忠房の次男である。 (ja)
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