波加利荘(はかりのしょう)は、甲斐国都留郡の荘園。 甲斐東部の都留郡(郡内地方)に位置する。波加利荘はの大原荘(河口湖周辺)とともに、都留郡域で存在が確認されている荘園。正確な荘域は不明だが、以東の笹子川流域にあたる現在の大月市初狩町・笹子町付近に比定されている。 波加利荘の立荘時期は不明だが、平安時代後期には武蔵七党のひとつで武蔵国横山荘(東京都八王子市)を本拠とした横山党の一族が古郡郷へ入部し、横山義孝(義隆)の子・忠重は都留郡古郡郷(上野原市上野原付近)に進出し古郡氏を称した。都留郡は国中(甲府盆地)だけでなく隣接する相模国(神奈川県)など関東地方とも関係が深い。また、都留郡は東海道の支路である甲斐路(御坂路)の整備に伴い甲斐国へ編入された立郡事情が考えられており、古代には甲相国境で帰属問題も発生している。古郡郷はこの甲相国境に近接し、初期郡家が存在していたと考えられている地で、奈良・平安時代の遺跡も多い。 新荘については薩摩国の島津忠久が拝領し、貞和4年には武田信成と同じく島津師久(大夫判官)が運上を納入しており、南北朝期まで島津氏領であったと考えられている(「貞和四年七月十一日公の諸直直奉書写」『薩摩旧記』)。
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