江尻 喜多右衛門(えじり きたえもん、生年不詳 - 元文4年8月19日(1739年9月21日))は江戸時代中期、日向延岡藩の武士。名を延勝(のぶかつ)と称した。 初め山方代官、のちに郡奉行に就任し、名を喜多右衛門と改めた。 延岡藩家老藤江監物に取り立てられ、岩熊井堰の工事に力を尽くした。後年は物頭格250石の上士に昇進した。 父は江戸詰延岡藩士の江尻徳之助(えじりとくのすけ)。