気持ち(きもち、英:Feeling)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった。 心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験(subjective experience)を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態 や自我の状態としても解釈されることを示唆している 気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。 なお日本語では、この言葉が「少しばかり」「僅かに」という意味合いで、副詞のように使われたりもする(気持ち右に寄る、など)。

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  • 気持ち(きもち、英:Feeling)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった。 心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験(subjective experience)を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態 や自我の状態としても解釈されることを示唆している 気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。 なお日本語では、この言葉が「少しばかり」「僅かに」という意味合いで、副詞のように使われたりもする(気持ち右に寄る、など)。 (ja)
  • 気持ち(きもち、英:Feeling)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった。 心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験(subjective experience)を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態 や自我の状態としても解釈されることを示唆している 気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。 なお日本語では、この言葉が「少しばかり」「僅かに」という意味合いで、副詞のように使われたりもする(気持ち右に寄る、など)。 (ja)
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  • 気持ち(きもち、英:Feeling)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった。 心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験(subjective experience)を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態 や自我の状態としても解釈されることを示唆している 気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。 なお日本語では、この言葉が「少しばかり」「僅かに」という意味合いで、副詞のように使われたりもする(気持ち右に寄る、など)。 (ja)
  • 気持ち(きもち、英:Feeling)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった。 心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験(subjective experience)を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態 や自我の状態としても解釈されることを示唆している 気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。 なお日本語では、この言葉が「少しばかり」「僅かに」という意味合いで、副詞のように使われたりもする(気持ち右に寄る、など)。 (ja)
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