橿原丸級貨客船(かしはらまるきゅうかきゃくせん)とは、日本郵船が保有し運航を予定していた貨客船のクラス。日本政府(以下政府)と大日本帝国海軍(以下海軍)の要請によりサンフランシスコ航路向け貨客船として1939年(昭和14年)から三菱長崎造船所と川崎造船所で1隻ずつ建造が開始された。これらの船はあらかじめ、有事の際に海軍によって航空母艦(空母)に転用できるような設計がなされており、世界情勢の緊迫によって2隻とも建造半ばにして空母に改装されることとなったため、貨客船としての姿を一度も見せることはなかった。2隻は改装を経て隼鷹型航空母艦として竣工し、太平洋戦争の戦場で活躍したが、1隻は戦没して残る1隻も終戦を迎えたのち解体されて姿を消した。空母に改装されることなく竣工していれば、優秀船舶建造助成施設によって建造された新田丸級貨客船をはるかにしのぐ規模を誇り、太平洋戦争開戦前に竣工した貨客船に限定しても、同じ日本郵船の「秩父丸(鎌倉丸)」(17,526トン)をも大きく凌ぐ日本最大の貨客船となるはずであった。船名由来はそれぞれ橿原神宮と出雲大社。 本項では建造の背景や予定されていた特徴について説明する。隼鷹型航空母艦となってからの事項は当該項目を参照されたい。

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  • 橿原丸級貨客船(かしはらまるきゅうかきゃくせん)とは、日本郵船が保有し運航を予定していた貨客船のクラス。日本政府(以下政府)と大日本帝国海軍(以下海軍)の要請によりサンフランシスコ航路向け貨客船として1939年(昭和14年)から三菱長崎造船所と川崎造船所で1隻ずつ建造が開始された。これらの船はあらかじめ、有事の際に海軍によって航空母艦(空母)に転用できるような設計がなされており、世界情勢の緊迫によって2隻とも建造半ばにして空母に改装されることとなったため、貨客船としての姿を一度も見せることはなかった。2隻は改装を経て隼鷹型航空母艦として竣工し、太平洋戦争の戦場で活躍したが、1隻は戦没して残る1隻も終戦を迎えたのち解体されて姿を消した。空母に改装されることなく竣工していれば、優秀船舶建造助成施設によって建造された新田丸級貨客船をはるかにしのぐ規模を誇り、太平洋戦争開戦前に竣工した貨客船に限定しても、同じ日本郵船の「秩父丸(鎌倉丸)」(17,526トン)をも大きく凌ぐ日本最大の貨客船となるはずであった。船名由来はそれぞれ橿原神宮と出雲大社。 本項では建造の背景や予定されていた特徴について説明する。隼鷹型航空母艦となってからの事項は当該項目を参照されたい。 (ja)
  • 橿原丸級貨客船(かしはらまるきゅうかきゃくせん)とは、日本郵船が保有し運航を予定していた貨客船のクラス。日本政府(以下政府)と大日本帝国海軍(以下海軍)の要請によりサンフランシスコ航路向け貨客船として1939年(昭和14年)から三菱長崎造船所と川崎造船所で1隻ずつ建造が開始された。これらの船はあらかじめ、有事の際に海軍によって航空母艦(空母)に転用できるような設計がなされており、世界情勢の緊迫によって2隻とも建造半ばにして空母に改装されることとなったため、貨客船としての姿を一度も見せることはなかった。2隻は改装を経て隼鷹型航空母艦として竣工し、太平洋戦争の戦場で活躍したが、1隻は戦没して残る1隻も終戦を迎えたのち解体されて姿を消した。空母に改装されることなく竣工していれば、優秀船舶建造助成施設によって建造された新田丸級貨客船をはるかにしのぐ規模を誇り、太平洋戦争開戦前に竣工した貨客船に限定しても、同じ日本郵船の「秩父丸(鎌倉丸)」(17,526トン)をも大きく凌ぐ日本最大の貨客船となるはずであった。船名由来はそれぞれ橿原神宮と出雲大社。 本項では建造の背景や予定されていた特徴について説明する。隼鷹型航空母艦となってからの事項は当該項目を参照されたい。 (ja)
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  • 橿原丸級貨客船(かしはらまるきゅうかきゃくせん)とは、日本郵船が保有し運航を予定していた貨客船のクラス。日本政府(以下政府)と大日本帝国海軍(以下海軍)の要請によりサンフランシスコ航路向け貨客船として1939年(昭和14年)から三菱長崎造船所と川崎造船所で1隻ずつ建造が開始された。これらの船はあらかじめ、有事の際に海軍によって航空母艦(空母)に転用できるような設計がなされており、世界情勢の緊迫によって2隻とも建造半ばにして空母に改装されることとなったため、貨客船としての姿を一度も見せることはなかった。2隻は改装を経て隼鷹型航空母艦として竣工し、太平洋戦争の戦場で活躍したが、1隻は戦没して残る1隻も終戦を迎えたのち解体されて姿を消した。空母に改装されることなく竣工していれば、優秀船舶建造助成施設によって建造された新田丸級貨客船をはるかにしのぐ規模を誇り、太平洋戦争開戦前に竣工した貨客船に限定しても、同じ日本郵船の「秩父丸(鎌倉丸)」(17,526トン)をも大きく凌ぐ日本最大の貨客船となるはずであった。船名由来はそれぞれ橿原神宮と出雲大社。 本項では建造の背景や予定されていた特徴について説明する。隼鷹型航空母艦となってからの事項は当該項目を参照されたい。 (ja)
  • 橿原丸級貨客船(かしはらまるきゅうかきゃくせん)とは、日本郵船が保有し運航を予定していた貨客船のクラス。日本政府(以下政府)と大日本帝国海軍(以下海軍)の要請によりサンフランシスコ航路向け貨客船として1939年(昭和14年)から三菱長崎造船所と川崎造船所で1隻ずつ建造が開始された。これらの船はあらかじめ、有事の際に海軍によって航空母艦(空母)に転用できるような設計がなされており、世界情勢の緊迫によって2隻とも建造半ばにして空母に改装されることとなったため、貨客船としての姿を一度も見せることはなかった。2隻は改装を経て隼鷹型航空母艦として竣工し、太平洋戦争の戦場で活躍したが、1隻は戦没して残る1隻も終戦を迎えたのち解体されて姿を消した。空母に改装されることなく竣工していれば、優秀船舶建造助成施設によって建造された新田丸級貨客船をはるかにしのぐ規模を誇り、太平洋戦争開戦前に竣工した貨客船に限定しても、同じ日本郵船の「秩父丸(鎌倉丸)」(17,526トン)をも大きく凌ぐ日本最大の貨客船となるはずであった。船名由来はそれぞれ橿原神宮と出雲大社。 本項では建造の背景や予定されていた特徴について説明する。隼鷹型航空母艦となってからの事項は当該項目を参照されたい。 (ja)
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