橘氏(たちばなし)は、平安時代の筑後国蒲池の領主の一族で、皇別系の橘氏の庶家。 橘諸兄の五代後の橘広相の五男、従三位中納言の橘公頼が大宰権帥として九州に下向し、藤原純友の乱の時に大宰府に迫った純友の弟の藤原純乗の軍勢を柳川の東方の蒲池で撃退した。その功により公頼の三男の橘敏通は蒲池の領主となり、大宰府府官の子孫が蒲池城に拠る。 1126年(大治元年)に天台宗の僧侶(俗名は蒲池右仁)が長壽院を建立。この蒲池を号とした右仁は筑後の橘氏の人物。 治承・寿永の乱(源平合戦)の功で幕府の西国御家人となり筑後国三潴郡の地頭職となった嵯峨源氏の源久直(蒲池久直)が橘氏の娘婿となり蒲池氏の初代となった。