楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。

Property Value
dbo:abstract
  • 楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。 (ja)
  • 楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 524951 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 857 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 87222863 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。 (ja)
  • 楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。 (ja)
rdfs:label
  • 楊白 (ja)
  • 楊白 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of