栗橋宿(くりはしじゅく)は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。日光街道・奥州街道の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在の埼玉県域では6番目)。当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿を合わせて一宿とする記述も有る。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国葛飾郡栗橋宿。現在の埼玉県久喜市栗橋北2丁目、栗橋中央2丁目、栗橋東3丁目、栗橋東5丁目がこの地域にあたる。