柴田 政太郎(しばた まさたろう、1884年(明治17年)11月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は、日本の素封家、篆刻家、刀工、俳人。上記以外にも書、画、謡曲、大皷、鼓などで活動した。号は果(か)、紫陽花、木鶏。第二次世界大戦頃、一部の刀には光興と銘すると昭和町の歯科医である菅原鶴太郎は言及している。 印は犬養毅、張学良たちに愛用された。刀工としては国工の称号を持つ。日本刀鍛錬練習所所長の栗原彦三郎によって「聖代刀の暫定委列と標準価格」の中では神品の列に挙げられている。刀剣研究家の得能一男によって柴田は昭和元年から20年までの主要な刀工として、息子の清太郎は昭和の主要な刀工として挙げられている。