松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名。建長5年(1253年)に日蓮が、安房国清澄寺から鎌倉に入り、松葉ヶ谷草庵(後に法華堂と号する)を構えた場所。その後、文永8年(1271年)(龍ノ口の法難)までの約18年間、日蓮の布教活動のための起居の場所となる。また、文応元年(1260年)に『立正安国論』を著した場所。 「草庵跡」は、妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺。)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺。)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺。)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷の法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。

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  • 松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名。建長5年(1253年)に日蓮が、安房国清澄寺から鎌倉に入り、松葉ヶ谷草庵(後に法華堂と号する)を構えた場所。その後、文永8年(1271年)(龍ノ口の法難)までの約18年間、日蓮の布教活動のための起居の場所となる。また、文応元年(1260年)に『立正安国論』を著した場所。 「草庵跡」は、妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺。)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺。)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺。)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷の法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。 (ja)
  • 松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名。建長5年(1253年)に日蓮が、安房国清澄寺から鎌倉に入り、松葉ヶ谷草庵(後に法華堂と号する)を構えた場所。その後、文永8年(1271年)(龍ノ口の法難)までの約18年間、日蓮の布教活動のための起居の場所となる。また、文応元年(1260年)に『立正安国論』を著した場所。 「草庵跡」は、妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺。)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺。)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺。)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷の法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。 (ja)
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  • 松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名。建長5年(1253年)に日蓮が、安房国清澄寺から鎌倉に入り、松葉ヶ谷草庵(後に法華堂と号する)を構えた場所。その後、文永8年(1271年)(龍ノ口の法難)までの約18年間、日蓮の布教活動のための起居の場所となる。また、文応元年(1260年)に『立正安国論』を著した場所。 「草庵跡」は、妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺。)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺。)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺。)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷の法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。 (ja)
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  • 松葉ヶ谷 (ja)
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