東洋学館(とうようがっかん)は、1884年から1885年にかけて、上海で、興亜学館(こうあがっかん)、亜細亜学館(あじあがっかん)と名称を変えながら日本人によって経営された学校。 中国における日本人の経営による教育機関としては、後の日清貿易研究所や東亜同文書院に先んじた存在であり、また、それらにも人脈の上で間接的な影響を及ぼした。